ゲーム機の歴史 前編
こんにちは、スタッフの川田です。
今回は、社内で雑談をしている際に「ゲーム機っていつからあるんですかね?」という話になり、せっかくなので色々と調べてみたら、実は深い歴史があることを知りました。
これはブログネタになる!と思い、まとめてみましたので、ぜひご覧ください!
先にお詫びをしておきますと、50年以上前の製品が出てきますので、残念ながら私の生まれる前の話で見たことも聞いたこともないハード機が出てきますので、「~の様です」といった文面になることを、あらかじめご理解いただけますと幸いでございます…。
■ゲームの歴史は約100年前から始まる
世界初のコンピューターゲーム機は、1912年にスペインで生まれたチェスのゲームで「El Ajedrecista 」(エル・アドレシスタ)というゲームの様です。
チェスボードの下に備えた電磁石を利用して、3種類のコマで自動的にプレイを行える様に計算されており、自動的にアームを動かしてプレイするという仕組みでした。
その後、1946年にはオシロスコープ(入力した信号の電圧の変化を視覚的に表示する電気計器のこと)を利用したピンポンのようなゲームが発表され、1950年には○×ゲームを行うコンピューターゲームが発表され、1952年には世界最古のテレビゲームがアメリカのケンブリッジ大学の大学院生によって開発された様です。
■1970年代は家庭用ゲームの黎明期が始まる
1970年代に入ると、いよいよ家庭用ゲームの歴史が始まります。
最初は、ゲーム機本体にゲームソフトが入った状態の内蔵方式と、ROMカートリッジといわれるカセットを入れ替えてプレイできるカートリッジ交換方式の2種類がありました。
1972年にアメリカのマグナボックス社から世界初の家庭用テレビゲーム機「Odyssey」(オデッセイ)が100ドルで発売されました。
残念ながら倭国では発売されなかったのですが、ソフトの交換が可能という、画期的な製品となりました。
その後、アメリカのアタリ社から「PONG」(ポング)が発売され、こちらも大ヒットした様です。
1976年8月にはフェアチャイルドセミコンダクター社がプログラミング可能なROMカートリッジを搭載したゲーム機として「Fair child Channel F」(フェアチャイルド・チャンネルF)を発売。
倭国でも販売されていた様で、本体価格は128,000円、カセットは9,800円で販売されていました。
1977年には任天堂株式会社より15種類のゲームが内蔵された「テレビゲーム15」が定価15,000円で発売されました。
その後、ゲームの種類を6種類に絞った「テレビゲーム6」を定価9,800円で発売、テニスや卓球ゲームなどが入っておりました。
同年の1977年にはアメリカのアタリ社より「Atari2600」(アタリ2600)がROMカートリッジ交換公式として発売されました。
倭国では「カセットTVゲーム」という名前でエポック社から57,300円で発売されていた様です。
1978年には任天堂株式会社より「レーシング112」が発売されたのですが、112種類のゲームが遊べて本体中央のハンドルでプレイができる画期的なシステムで、かなりの人気だった様で、定価12,800円で販売台数は約16万台程のヒット商品だった様です。
1979年には任天堂株式会社より「ブロック崩し」が発売。
ゲームセンターで既に人気だったブロック崩しを家庭用ゲーム機に移植したもので、価格は13,500円、約40万台のヒット商品だった様です。
■1980年代はゲーム機の市場拡大と進化が始まる
1980年になると、遂に携帯型ゲームの「ゲーム&ウォッチ」が発売されます。
ゲームが本体に内蔵されているタイプではありましたが、外でもプレイできるのは当時としては画期的な体験だったことでしょうね。
ゲームをしない間は時計としても使える為、ゲーム&ウォッチという名前でした。
1981年にはエポック社より「CASSETE VISON」(カセットビジョン)が発売されました。
価格は13,500円で、11種類のソフトが各4,980円で発売され、当時としては倭国で一番売れたハード機として約45万台が出荷されたそうです。
1983年にはバンダイ社から「バンダイ・アルカディア」が発売されました。
1982年に「Intellevision」というハード機をアメリカより輸入していたのですが、どうも高価格が影響して普及が難しかったらしく、その後継機として発売をした様です。
1983年に入ると、任天堂株式会社より遂に不朽の名機「ファミリーコンピュータ」が発売!
メーカー希望小売価格は14,800円で、ROMカセットを入れ替えることで様々なゲームがプレイできる為、次々に新しいソフトが発売されていき、一気に倭国全国の家庭に普及していったことを覚えております。
私、川田はこのへんからようやく実体験として話せる様になります(笑)
放課後、ファミコンを持っている友達の家にみんなが集まってプレイしていましたね~。
「マリオブラザーズ」「アイスクライマー」「スターソルジャー」「グラディウス」「ファミスタ」「ツインビー」「くにおくん」「ボンバーマン」などなど、挙げだしたらキリがありません。
同じ1983年にはセガ・エンタープライゼス(現(株)セガ)から「SG-1000」が定価15,000円で発売されました。
尚、SGはSEGAの略だそうです。
そして、1985年にはセガ・エンタープライゼス(現(株)セガ)から「セガ・マークⅢ」が定価15,000円で発売されました。
このあたりから、いよいよ家庭用ゲーム市場の激戦化が始まろうとしていたのを記憶しております。
1986年には、任天堂株式会社より「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」が発売されました。
ROMカセットではなくフロッピーディスクを使う事で、ソフトの価格が1,000円ほど安く抑えらていたのを覚えております。
その後、シャープ株式会社がファミコンとディスクシステムを合体させた「ファミリーコンピュータ ツインシステム」が発売、本体2つが1つになるという画期的な製品でしたね!
当日はツインファミコンという名前で広く普及していたのを覚えております。
そして、1987年には倭国電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス)よりPCエンジンが発売されました。
当時はファミコンの市場シェアが高く、私の周りではファミコン派のほうが多かったのですが、その中でもPCエンジンは画質がキレイで、ファミコン系とは少し違うソフトが多く別物だった様に記憶しております。本当に別の体験ができるハード機でしたね。
翌年の1988年には、セガ・エンタープライゼス(現(株)セガ)16ビットの家庭用ゲーム機「メガドライブ」を発売。
メーカー希望小売価格は21,000円で、こちらもファミコンとは少し違う雰囲気のゲームが多く、ファミコンとは別物のゲームだったことも記憶しております。
当時の子供は、任天堂派とSEGA派に分かれていましたね。
特に、2~3等身が多かったファミコンに比べ、5~7等身の様なよりリアリティのあるゲームをよくプレイしていて、海外のゲームが多いハード機でもありました。
私の記憶が確かならば、電源を入れたときに「SE~GA~♪」という音声が流れていた様に記憶しております(間違っていたらすいません…)。
1989年になると、任天堂株式会社より遂に不動の名作「ゲームボーイ」が発売されます。
翌年までに全世界で1億台を販売し、2005年までの販売台数が世界最多となるほどの圧倒的な人気を博したハード機でした。
学校にこっそり持ってきて先生に怒られてたり預かり没収されている同級生を何人も見ておりましたね(笑)
おそらく倭国全国で同じような光景があちこちで起きていたのではないでしょうか。
以上、ゲーム機の歴史 前編のブログでした!
「生まれる前の情報で全然知らなかった!」という方も多いのではないでしょうか?
かくいう私も知らない情報が多くありました(笑)
ゲーム機の歴史 後編では、1990年代以降のご紹介となり、馴染みのあるゲーム機が登場するかもしれません。
後編もお楽しみに!